Tags:審判

高校選手権での不満2【みんな同時に札を並べ始めようよ】

先日の観戦記にちょこっと書いた(2008-07-26 第30回高校選手権観戦記2【団体戦編】)のだが、九州で開かれる大会の場合は、「お互いに札を25枚の札を分け合った後は、審判の号令があるまで札を表にしてはいけない」というルール(慣習)がある。大会だけではなく、普段の練習でも号令があるまでは札を並べるということをしないので、九州内でしかかるたをやったことがない人は、これが正しいかるたのルールなんだと信じているのではないだろうか。

しかし、現実は違う。むしろ、このようなことをしているのは九州だけではないだろうか?他の地域では、お互いに25枚を分け合うと各々がすぐに札を並べ始める。さて、どちらが良いのだろうか?

号令があるまで札を並べるのを待つ場合のメリットとしては、『札の組み間違い等のアクシデントがあった場合も、暗記時間に不平等が生じにくい』『選手全員が同じ暗記時間を得ることが出来る』などが挙げられる。デメリットは、ちょっとだけ時間がかかってしまうということくらいだろう。これに対し、すぐに札を並べ始める場合は……さっきの逆ですかね。時間短縮は出来るけど、公平性が失われやすい。

僕は完璧に九州の人間であるので、前者の『号令があるまで札を並べるのを待つ』というルールでやってきたし、これが良い方法だと思っているので、出来れば高校選手権でもこの慣習を取り入れて欲しいと思う。

だってさ……これを言うと色んな人から怒られそうな気がするけどさ……高校選手権では、札を100枚読むのではなくて読む札を80枚とかに意図的に減らして読んでるんでしょ?札組みが間違っているときに審判がこっそり確認しに行ったり、読手が何かの紙をチェックしながら読んでいる様子を見ると、読み札を操作しているとしか思えないんだけどね。そして、あれだけの大量の札だから、毎年変わらずに同じ札組みで試合を運営しているのだろう。だからこそ、札がちゃんと50枚あるかどうかをチェックするための時間は必要だと思う。

それに、あれだけ色んなA級選手がいるんだから、九州での『号令があるまで札を並べるのを待つ』という慣習を知っている人はたくさんいるでしょう。個人的には九州の慣習を取り入れてくれるのが一番だと思うのだが、現行のままで試合を行う場合であっても、「お互いに札を分け終わってからは、号令を待たずにすぐに並べて良いです」と大々的にアナウンスするなど、九州の高校生たちへの配慮する姿勢が欲しいですね。

まとめ

  • 九州は号令があるまで札を並べるのを待つ慣習がある、ということを理解して欲しい
  • そして、高校選手権ではそのような慣習がないことを広く知らせるべき
  • 個人的には九州の慣習は非常に良いことだと思う。競技規程としてこれを取り入れて欲しいくらいだ
  • 高校選手権では、九州での慣習を採用した方が良いと思う
関連記事・同じ日の記事 | 高校選手権での不満2【みんな同時に札を並べ始めようよ】 はコメントを受け付けていません

高校選手権での不満1【札は投げ渡さないで!】

さて、僕は3年連続で高校選手権を観戦してきました。その中で様々な不愉快な光景を見てきたので、色々と書いていこうと思います。それが、競技かるたを愛好するひとりの選手としての義務だと思うし、高校選手権を見ていない人たちへ現在がどのような状況なのかを伝える権利があると思うから。

ただ、今から書いていくことはあくまでも個人的見解であり、主観的な考えが多く含まれているでしょう。だから、僕の意見が正しいかどうかよりも、『教育の一環である高校選手権がこのような状態で本当に良いのか?』ということに着眼をおいて読んでいただけると幸いです。

今回はまず、『札を投げ渡す行為についての是非』について書いていこうと思います。僕の意見としては、以前も書いたように(2008-06-09 札を投げ渡すのは、礼儀としてどうなんだろう?)、札は他の選手に対して投げ渡すべきではないという意志を持っており、僕がかるたを教える場合には「札は投げて渡すんじゃない!近くにそっと置いてあげるか、直接手渡ししろ!」と強く注意しています。しかし、全国的に見ればそれは少数意見なのだなと実感させられてしまった。

思っていたよりも、競技をしている選手が札を投げ渡しているシーンを見ることは少なかった。軽く手で払って札を滑らせるようにして渡したり、ほんのちょっとだけ軽く投げ渡すといった行為くらいしか見られなかった。だが、競技かるたの有段者である大人たちが札を投げ渡している行為を見てイライラしていた。

ある団体戦のときのことだった。あるチームの監督が自分の近くまで飛んできた札を、競技者たちに向かって投げ飛ばした。そして、投げ飛ばされたその札は対戦チームの選手に当たってしまったのだ。はぁ!?何やってるの?このヘタクソが!監督が相手チームの選手にそんなことして良いわけ?故意であるなしに関係なく、すごく許せない行為でした。幸いにも札をぶつけられた当人は、それが相手チームの監督によるものだと気づいていなかったようですが、もし気づいていたとしたら精神的にかなりのダメージを負っていたのではないかと思います。僕がもし選手の立場だったら、怒りで集中できなくなっていたことでしょう。ちなみに、僕はそのシーンを見たときに怒りを抑えきれずに思わず舌打ちをしてしまいましたが、隣で観戦している人に思いっきり聞こえていたみたいです。だから、札を投げ飛ばした監督さんにも聞こえちゃったかもね。まぁ、いっか(笑)

また、審判たちがが札を投げ渡しすぎだと感じました。どこまで上から目線やねん!札を取りに行ってくれるのはありがたいのだが、その札をすぐさま競技者の方向に向かって投げ飛ばした後は、すぐにきびすを返して所定の場所へ……いや、忙しくてきついのは分かるけど、何だよその態度は。これもまた、投げるのが下手くそなもんだから、ちゃんと並んでいる札に当たって壊してしまったり、取りに来ている選手の後方に飛んでいったり……あのね、そういう行為で選手たちの精神を乱さないでくれよ。競技かるたを何年もやってるんでしょ?中立な立場であるべきの審判が、試合以外のことで一部の選手のみをイライラさせちゃダメだろーが!

それに、審判が札を投げ渡す場合は立った状態の高い位置から投げ渡すもんだから、跳ねたりして思わぬところに行ってしまったりで、競技者同士が座った上体で札を投げ渡す場合よりも危険度が増します。手元が狂って目に刺さりでもしたらどう責任を取るつもりなのでしょうか?

ちなみに、ある高校生の試合を見ているときに、払い飛ばした札を立ち上がって自分で取りに行っているのに、審判がその後方に投げ渡してしまうというシーンがあった。僕が、また下手くそな審判が投げ渡しているよ……と思いながらイライラしていると、札を取りに行っていた選手が険しい表情に変わったように見えた。ちょっとそのときの様子が気になったので、「札を投げ渡したとき、審判を睨んでなかった?」と質問すると、「いやいや……札を投げ渡してくる人は、全員睨んでましたよ!」と答えてきた。人を睨みつける行為は良くない事なので、出来ればそんな事をして欲しくはないのだが……その気持ちは良く分かるぞ!僕とおんなじじゃねーか!笑

まとめ

  • 札を大切に扱おうとする気持ちって大事なんじゃないの?
  • お互いに気持ちよくかるたができるように、札は原則手渡しで行うべき
  • 札を投げ渡されると、札を拾ってくれた相手に感謝の言葉をかけることができません
  • 札を投げ渡しているシーンを見た素人が、真似をして投げ渡してしまう(今回、そういうシーンが実際にあった)
  • 審判が札を投げ渡すんじゃねーよ!座っている相手に、立ったまま投げ渡すんじゃねーよ!
  • コントロール悪くて投げ渡すのが下手くそすぎだから、逆に試合の進行を遅らせてしまっているように感じる
  • 札を投げ渡されてイライラしても、相手を睨んだりするのは止めようね
  • 「札を絶対に投げ渡すな!」とは言わないが、高校教育の一環である高校選手権では投げ渡すべきではない!

もちろん、マナーが良くて礼儀正しい審判もいました。僕が見た札を投げ渡すような審判は少数だったのかもしれませが……あのような行為を何度も見てしまうと、すごく印象に残ってしまいます。ほとんどがボランティアで、選手たちのために貴重な休みを使って審判をしていただいている苦労は重々承知しています。しかし、審判をする方々には、単に自分の役割をこなすことだけではなく、「選手たち全員に見られている」という意識を持って行動して欲しいものです。

第30回高校選手権のニュース記事

「かるた甲子園」始まる 大津・近江神宮で熱戦(京都新聞)

高校選手権団体戦の記事です。

>大津市神宮町の近江神宮「近江勧学館」で開幕した。

単に『近江神宮で開幕した』と書いておけば良さそうな気がするんだけどね。

>今年は32都府県の計111校が予選を戦った。

平均して4校にも満たないのか……少ねぇ!

>畳をはじく音が会場に響いていた。

『札をはじく音』という表現は時々目にするのだが、『畳をはじく音』という表現は初めて見ました(笑)

全国高校小倉百人一首かるた大会:団体戦、膳所が3位--大津で開幕(毎日新聞)

同じく、高校選手権についての記事です。

>「かるたの甲子園」といわれる

いや……実はあまり言われてないよ。かるた関係者はむしろ全然使わない言葉です。

>小倉百人一首の聖地という同神宮で

近江神宮が『小倉百人一首の聖地』なんですか!?もっと違う場所の方が聖地にふさわしい気がするんですが(笑)『競技かるたの聖地』の方が似合っていますね。

>時折チームに気合いを入れる掛け声があがるなど団体戦ならでは光景も

この文章の次に、『しかし、審判はそれを「うるさい」と一喝し、掛け声をしないようにと注意を促していた』という一文があれば面白かったんですけどね(笑)

関連記事・同じ日の記事 | 第30回高校選手権のニュース記事 はコメントを受け付けていません

主張のマナー

昨日の宗像大会では、良い試合が見れた一方で、なんだかなぁ……と感じるような試合もあった。

あるA級選手同士の試合でのことだった。一方の選手がやたらと威圧するような大声で主張している。何かと思って視線を向けると、立ち上がって見下すような形で相手選手に対して主張をしていた。相手の選手は座ったままの姿勢で大声を上げることなく主張をしていたようだったが、それをことごとく否定するような反論をしていた。しかも、その内容のほとんどが状況を説明するような内容ではなく、自分が取ったことを大声で叫んでいるだけのように思えた。

そして、ようやく腰を下ろして、座って主張をするのかと思いきや、ひざを付いて伸び上がるような体勢で相手を見下ろすように主張を続けていた。見ていて非常に気分が悪かったです。年齢も競技暦も、相手選手より遥かに上なのに、大人気ないというか……マナーがなっていませんね。

そのときの主張が、どちらが正しかったのかは知りません。ただ、相手がどんなに納得できない主張をしてきた場合でも、まずはお互いに正対して座った状態で主張をすべきだと思います。あれじゃあ、威圧して無理やり勝ち取っているようにしか見えません。相手が、自分よりも年上や名の知れた選手の場合でも、同じような行動・主張をすることができるのかが甚だ疑問ですね。

僕は、主張をするときには、「いかに相手の事を信用するか」という事が非常に大事だと思っています。基本的に、審判が見ていない状態で競技を行うかるたでは、お互いの判断によって試合が進行していきます。だから、一方が大嘘つきで、反論したら「殺すぞ!」と脅してくるような相手であれば、どんなに強くても勝つことは不可能です(……ありえない話だけど)。

そういった特異性を持つ競技なので、お互いを信用していなくては競技自体が成り立たなくなってしまいます。だから、まずは相手の判断が正しいと言う前提で試合を進行し、自分の判断と食い違っている場合に主張を行い、自分と相手の判断がどのように違っていて、どちらが正しいのかを民主的に話し合いで決定する。これが、本来あるべき主張の形だと思っています。

みんなには、自分に有利な結果になる「強い主張」ではなく、真に正しい判断を行うことが出来る「上手い主張」を身に付けて欲しいですね。無理やり勝ち取る主張なんて、美しくないから嫌いです。

関連記事・同じ日の記事 | 主張のマナー はコメントを受け付けていません

競技かるたの試合中に周りに置いて良いもの

ここでは何度も言っていることだが、僕は競技かるたのルールが曖昧なのが嫌いだ。競技かるたが制定されて100年以上が経つが、残念なことにルール自体は100年前とほとんど変わりがないのだから、全然成長してないな……と思ってしまう。

とある公認大会のA級の試合を見ているときだった。なにやらノートに文字を書きながら、15分間の暗記時間を過ごしている選手がいた。そんなシーンは初めて見たのだが、確かにルール上はこの行為は禁じられていない。後から、その選手にノートに文字を書いていた理由を尋ねると、「暗記がなかなか出来ないから、ノートに書いて覚えている」との事だった。

その話を聞きながら、僕は「あ、デジカメで札の配置を写真に撮れば良いんじゃ?」と思った。まず、お互いに札を並べ終わった直後に、デジカメで配置の状態を写真に撮り、席を外す。後は、デジカメを見ながら気ままに暗記。素振りもし放題……なんて言う、悪知恵が働いてしまった。あ、これを実行して怒られても僕は責任持ちませんよ(笑)

で、ここで僕が言いたいのは、こんな悪知恵のことではなくて、「競技かるたの試合中に周りに置いて良いものは、ルールで決めるべきなのではないだろうか?」ということだ。実際の大会等では、試合中に自分の周りに置いてあるものとして、『タオル、ハンカチ、ティッシュ、時計、ヘアピン、髪留め、メガネ、メガネケース、ざぶとん、上着、携帯電話、財布、救急道具』などがあるのだが、置くことが出来るものが自由すぎる気がする。そこで、ブラックリスト法、ホワイトリスト法の2つの方法で、自分の周りに置いて良いものを規制する文章を考えてみた。

ブラックリスト法

試合中は、身の周りに以下の物を置くことを禁ずる。
・筆記用具、携帯電話、カメラ、ビデオなど、状況を記録できるもの
・飲食物
・その他、審判長が不適切だと認めたもの

ホワイトリスト法

試合中は、身の周りに以下の物を置くことを認める。
・タオル、ハンカチ、ティッシュ等のエチケット用品
・サポーター、座布団等の緩衝用品
・救急用品
・時計、ストップウォッチ等(ただし、状況を記録できる機能を持つものを除く)
・その他、審判長が適切だと認めたもの

……どっちにしろ書くのが難しい。まぁ、原則的には身の回りには何も置かないスタイルが一番で、試合を行う上で不都合が起こるときに周りに置いた道具で補うことが認められる、という意識が良いのかなと思います。

ちなみに、僕が試合中に周りに置いているのは、暑い時期のタオルくらいですかね。そろそろ、タオルが必要になる時期だなー。

運命戦で注意すべき大事なこと

そういえば、昨日は運命戦で負けてしまったんですが、ちょっと珍しい状況だったので、そのときの状況を書いてみようと思います。

4枚vs1枚で負けていて、相手陣には『いまこ』で、自陣は『いまは』『か』『お』『ほ』の札がある状態だった(うろ覚えだけど多分ね)。今の僕には相手陣を抜きに行く力がなかったので、4枚とも札を固めて読まれた瞬間に札を囲う作戦に出た。だって、相手陣を攻めてもあまり意味がない状況だからね。すると、3枚連続で自陣が読まれ、残ったのは相手陣の『いまこ』と自陣の『いまは』という、運命戦で別れ札という状況になった。

運命戦で別れ札の場合、決まり字を聞く前に札を払い飛ばしちゃって良いんですよね。この状態で戻り手なんて不可能に近いし、いくら自分は聞き分けようと思っていても、相手が決まり字前に払い飛ばしてしまえば意味がない。要するに、このような状態では「こっちが出る!」と決めた方を、決まり字前に払い飛ばしてしまうのがベターだと思っています。

ただ、注意しなくてはいけないのは、自分が取ろうと思った札を相手が先に触り、なおかつ自分も遅れて札に触ってしまったときです。もし、その札が出札ではなかった場合、共お手になってしまいます。そのときには、瞬時に逆側の札をフォローしに行く必要があるので、心の片隅にでも入れて置いてください。

で、話を戻します。運命戦の状態で読まれた札は、「い……」。僕は、相手陣の『いまこ』を決まり字前に払い飛ばし、相手はこちらの陣の『いまは』を払い飛ばした。そして、読まれた札は、「いまはただー」。

逆が読まれてしまいました(涙)そして、すぐさま相手が「ありがとうございました」と、礼をし始めたので、僕が礼をしない状態で一言注意した。「本当に礼をしちゃって良いの?」。相手は少し考えた後に、「あ、そっか!」と言って、僕が払い飛ばした札を拾い上げ、札をこちらに送ってから改めて礼をして試合終了。これがどういう意味だか分かりますか?

僕の『いまは』が取られた時点で、『自陣0枚、相手陣1枚』の状態になるので、この状態で札を送らずに礼をすると、ルール上は僕の勝ちになってしまうと思います。だって、競技かるたには『札の送り忘れ』というものがあり、「あ、さっき札を送り忘れたから今送るね」なんて事は不可能だしね。だから、運命戦で相手陣の札を取ったときには、確実に札を送ってから礼をするように気をつけましょう。相手がすぐに礼をしてきても無視だ!ちゃんと自陣の札を相手に送ってから礼をするんだぞ!

ただ、気をつけてもらいたいのは、僕は公認審判員の資格なんて持っていません。あくまでも、全日本かるた協会の現行の競技規程や競技会規程などから、ルールを読み取っての話をしているだけです。だから、このような状態でどちらが勝ちになるかは、結局は審判(審判長)の裁量になってしまう可能性が高いでしょう。しかし、お互いがもやもやした状態で試合が終わってしまわないよう、全員が『最後は自陣を0枚の状態で試合を終える』ということを心がけましょう。

関連記事・同じ日の記事 | 運命戦で注意すべき大事なこと はコメントを受け付けていません

同時?同時じゃない?

競技かるたでは、お互いの選手が同時に札に触れることを『セイム(セーム)』と呼ぶ。語源は英語の『same』であることからきており、今現在の全日協の競技規程では、セイムに関して第5条に次のように明記されている。

出札に触れたる手が同時の場合は当該札の所有者之を取りたるものと見做す。但、共に札押しの場合は、出札に近く触れたる者が取りたるものとする。

このルールが存在するため、審判がつかない状況で試合を行うことが多い競技かるたでは、「私の方が早い」「いや、今のは同時だ」という主張がたびたび行われる。この様な場合は、どちらかが札際を良く見ていないか、嘘をついてしまっている場合が多いのだが、実はどちらの主張も正しい場合もある思う。

そもそも、札に同時に触っているように見えたとしても、実際にはどちらかがほんのわずかだけ先に触っているものであり、物理的に『完全な同時』ということはあり得ないと思う。しかし、人間の目ではそれを判定できないので、ある程度の範囲を『同時』だと認識している。

そして、人によって同時だと認識する範囲が違い、また試合に勝ちたいという主観的な願望から、その時々によって認識の範囲が変わってくるだろうから、一方の選手が『同時』だと認識して、他方の選手が『自分が早い』と認識してしまうことがあると思う。

やはり、競技者同士の判定によって試合が進行していく競技かるたでは、こういったところが難しいですねー。

ちなみに、僕が主張をするときには『セイム』や『同時』という言葉は使用せずに、「あなたの方が先に触ったということはないと思うんですけど……」という言い回しをすることが多いです。これには特に深い意味はないのだが、『セイム』という横文字をあまり使用したくないという思いから、自然と違う言い回しの主張をするようになっちゃっていました。

関連記事・同じ日の記事 | 同時?同時じゃない? はコメントを受け付けていません

第29回高校選手権観戦記3【個人戦編】

気を取り直して個人戦。どこかの会場でずっと見るのではなく、色んな選手を見るために会場を周りながら見ていた。会場がこれだけ多い中での大会。役員の皆さんはとても大変そうでした。

それにしても……ちょっと審判がピリピリし過ぎている気がする。試合進行のためにしっかりしていない選手に注意するのは分かるのだが、どうも注意の仕方がきつい審判が毎年多いように思える。高校生限定の大会だから、試合をしている人の中に自分よりも偉い人がいなくて気楽に注意できるのかもしれない。僕が審判のどういった発言に疑問を思ったのか……ここで書いてしまうと、その人物が特定されてしまう可能性があるので例は挙げませんが、競技規程等に全く書かれていない勝手な私見を、選手たちに向かって叫んで注意するのは止めて欲しいなと思いました。あと、選手に札を投げて渡すのもやめて欲しいです……

個人戦の結果としては、一人がC級4位入賞しただけに終わった。ちょっと寂しい気もするけど、勝ち負けはどうでも良いです。自分の力を発揮できて負けたのであれば、それで良し。杭が残るような試合をしてしまった人もいるかもしれないけど、それもひとつの良い経験だと思って気持ちを引きずらないように!高校選手権という舞台での試合は、きっと君たちのかるた上達のための良い経験、そして人生の糧となることでしょう。お疲れ様でしたっ!

<つづく>

関連記事・同じ日の記事 | 第29回高校選手権観戦記3【個人戦編】 はコメントを受け付けていません

運命戦で大山札の別れ札

  • 対B級 ×1 お手6
  • 対B級 ○11 お手2

これから高校総文祭が終わるまでの間、高校生と対戦した場合の対戦相手の級は隠して書いていこうと思います。対戦結果も隠して欲しい場合はご連絡ください。

一試合目は、とにかく疲れた試合でした。序盤は凄く体が動いて反応できていたのだが、体調がまだ良くなっていないせいか、前半でバテてしまった。確か中盤あたりまでは勝っていたような気がするんだけど、終盤になったときには逆転されてしまっていた。

気がついたら「3-1」で負けている状態になっていたのだが、そのときの相手陣の札は『わたのはらこ』で、自陣は『わたのはらや』『み』『あき』。自陣を囲って取っていると、『み』と『あき』が読まれて運命戦。場に残っている札は大山札(6字決まりの札)という珍しい状況になった。僕の計算だと、このように運命戦のときに大山札の2枚が残る確率は約0.06%。もちろん、初めての体験だった。ドキドキしながら出札が読まれる瞬間を待った。

運命戦になって、空札が何枚か読まれた後にそのときは来た。『わた……』と読まれた瞬間、僕は相手陣の『わたのはらこ』を払った!どうせ確率は2分の1なので、決まり字を聞き終える前に払ってしまえというわけです。『わ』で払わなかったのは、決まり字整理が出来ていなかったからだけどね(笑)そして、上の句の続きをゆっくりと聞いた。

『……のはらやそしまかけて』

……うん、自陣が読まれちゃったね。しかし、実はまだ勝機は残っている。相手陣を払ったのにはちゃんと理由があって、『相手の送り忘れ』を期待しているのだ。自陣の『わたのはらや』が取られた時点は、『自陣0枚、相手陣1枚』の状態であり、札の送りが完了して初めて『自陣1枚、相手陣0枚』になる。だから、相手陣を払い飛ばしてしまえば、その札を相手が取りに行ってから送るのを忘れまま、例を終えて試合が完了してしまう可能性がある。まぁ、実際の大会でこのようなことが起きた場合は、審判長の裁量に委ねられるんだろうけどね。そんなことを思いながら、相手を見ていると、しっかりと札を送ってきました(笑)はい、負けー。

二試合目は、前半は相手があまり暗記が出来てなさそうだったので楽に取れたんだけど、中盤から後半にかけて粘られすぎた感じだったかな。

みんなといるときは結構元気にしてたんだけど、帰りの運転のときは凄くきつかった……帰ってから熱を測ると微熱。土日でなんとか体調を整えて、また一週間頑張ろうと思います。

どっちなんだいっ!?

僕は一応A級選手なので、ときどき審判として判定をすることがある。そこで困るのが『お互いの言い分が違うときの判定』だ。どっちが取ったかという主張の場合は、最終的に『自陣の取り』ということで納得してもらうのだが、共お手か片お手かという主張の場合は対応に困る。

そういった場合、僕は共お手として処理してもらっているのだが、どのように対応するのが一番良いのだろうか?「お互いに言っていることが違うので、ノーカウントで送りなしということになります」とか言っておけばいいのかなぁ……?

かるた道精神とは?

『かるた道精神とは一体何なのか?』以前某サイトの掲示板でこの話題が出ていた。そのとき、どのような議論がなされたかは覚えていないが、確かにかるた道精神とは一体何なのだろうか?選手宣誓でよく使われるセリフということしか分かっていない。ちなみに、カーリングにはカーリング精神というものがあり、競技規程で次のように明記されている。

カーリングは技量と伝統のスポーツです。的確に達成されショットは、見た目にも楽しいものですが、それだけにとどまらず、ゲームの真髄に活かされている由緒ある伝統を観ることは、素晴らしいことです。カーラーは勝つためにプレーしますが、決して相手をいやしめるようなことはしません。真のカーラーは、フェアーでない勝ちよりも、むしろ負けることを選びます。
良いカーラーは、相手の気を散らしたり、相手のベストを尽くしたプレーを妨げるようなことは決してしません。
カーラーは、意図的に競技の規則や慣習を破ることは決してしません。しかし、不注意にも破ってしまい、それに気づいた場合は、まっさきに違反を申し出ます。
カーリングゲームの主な目的は、競技者の相対的な技量を決定することですが、一方、ゲームの精神は、立派なスポーツマンシップ、親切な思いやり、高潔な態度を強く求めています。
この精神は、競技規則の解釈や適用に活かされるべきであると同時に、アイス上、アイス外を問わず、すべての参加関係者の行為に活かされるべきです。

なるほど……勝利のみを求めるのは、真のスポーツマンにあらず!といった感じでしょうか。僕は、競技かるたの競技規程もかるた道精神を載せるべきじゃないかと思った。競技かるたは、他のスポーツや競技以上に審判が見ていない場面での争いが良く起きるので、競技規程のたくさんの抜け穴を利用して勝利のみを求めるという人が現れる可能性がある。そこで、かるた道精神を記載することによってやんわりとその規制が出来ないかなと思う。以下、カーリング精神をパクったかるた道精神案です。

競技かるたは技量と伝統の競技です。的確な取りは、見た目にも楽しいものですが、それだけにとどまらず、競技の真髄に活かされている由緒ある伝統を観ることは、素晴らしいことです。選手は勝つためにプレーしますが、決して相手をいやしめるようなことはしません。真の選手は、フェアーでない勝ちよりも、むしろ負けることを選びます。
良い選手は、相手の気を散らしたり、相手のベストを尽くしたプレーを妨げるようなことは決してしません。
選手は、意図的に競技の規則や慣習を破ることは決してしません。しかし、不注意にも破ってしまい、それに気づいた場合は、まっさきに違反を申し出ます。
競技かるたの主な目的は、競技者の相対的な技量を決定することですが、一方、競技の精神は、立派なスポーツマンシップ、親切な思いやり、高潔な態度を強く求めています。
この精神は、競技規則の解釈や適用に活かされるべきであると同時に、上、外を問わず、すべての参加関係者の行為に活かされるべきです。

ちょっと変えただけだけど、なかなかいい感じに思える。今年の競技規程改正案に関する意見の提出はもう遅いだろうから、来年この意見を提出しようかな。

全国高校総文祭県代表選手第一次選考会

と、いうわけで熊本県の総文祭代表選手を決めるための大会が行われ、審判員として参加させていただきました。今日3名選手が決まり、5月の第二次選考会で5名を選出する予定だったのだが、同じ内容の3位の選手が2名出てしまったので急遽4名選出ということになりました。ちなみにその4人との対戦結果を調べてみると……

  • 対1位の選手 1勝2敗
  • 対2位の選手 7勝7敗
  • 対3位の選手 0勝2敗
  • 対3位の選手 5勝4敗

うーん……いい勝負してますね(笑)選ばれた選手たちの力は僕以上ですよ(^^)v

で、試合を見ていて思ったこと……それは、全体的にあまりマナーが良くなかったことだ。普段、大会慣れしていない選手がマナーを知らずにミスを犯してしまうのは仕方のないことだが、明らかに慣れてしている選手のマナーがあまりよくないように見えた。まぁ、慣れてしまっているが故におざなりになってしまっているんでしょうけどね。具体的に言うと、

  • 手のあげ方が悪く読み手に見えない
  • 始まり終わりの挨拶が適当

ということだ。しかし、僕には選手たちを責めれません……だって、僕自身がしっかり出来ていないからっ!それを気づかせてくれたのは、某高校の1年生が終わりの挨拶をしたときだった。10枚差くらい負けての挨拶だったが、大きな声で『ありがとうございました!』と深々と礼をしたときに、適当に礼をして済ませてしまっている自分を恥じた。一体、何年かるたをやっているんだと。何故感謝の言葉を適当に済ませてしまっているのかと。

だから僕は今度から、しっかりと読み手が分かる様に手を上げ、しっかりと挨拶を行おうと思います。そして、その姿を周りの選手が見て自然と全体的なマナーの向上につながればいいなと思う。だけど……お手つきしたときに叫ぶ癖は直せないんで、それは勘弁してください(笑)