Category:意見

札を投げ渡すのは、礼儀としてどうなんだろう?

昨日、生徒たちと並んで試合を観戦しているときのことだった。払い飛ばされて近くに飛んできた札を、選手に向かって下から放物線を描くようにして投げ渡している役員がいた。その様子を見ていたた生徒から、ヒソヒソ話でこんな声が聞こえてきた。

「えっ!?札を投げて渡してるよ」
「手渡しじゃないとダメじゃないの?」

僕は、それを複雑な気持ちで聞いていた。熊本では、周りで試合をしている人の札が近くに飛んできたときに、札を投げて渡すことを禁止する教えが浸透しています。これは、今まで熊本の高校でかるたを教えてきた顧問の先生方のご指導の賜物だと思っています。

しかし、このような考えが県全体でまとまっているのは、全国的に見れば稀有なことではないかと思います。県外の練習や大会では、札を投げ渡す行為が見られることがあります。それも、競技暦の長いA級選手たちが当然のように行っています。競技かるたは、周りの人の影響を大きく受ける競技ですから、そのような姿を見ると初心者もそれを真似していき、結果として「札を投げ渡すのは普通の行為だ」という意識が根付いてしまいます。

もちろん、投げ渡した方が試合の進行が早まるという考えは分かります。しかし、「畳を叩くな」「礼をしっかりしよう」といったマナーに関することが全日協より叫ばれている今、「札を投げ渡すな」という声が全く聞こえてこないのが不思議でたまりません。自分たちが実行出来ていないから、叫べないのかもしれませんけどね(笑)

このような話をすると、「じゃあ、札を払い飛ばす行為はどうなの?」と突っ込む人もいるでしょうが、それとこれとは話が別です。札を払い飛ばすというのは、出札に対して最速で取りに行くために生じてしまう行為ですが、札を投げ渡す行為に必要性はあまり感じられません。その札を飛ばした人が取りに行くのが本来の姿ですが、札を見つけた人が渡しに行く状態になったときには、近くまで行って札を置いてあげるか、札を手渡してあげるべきでしょう。

だけど、僕は県内の子たちに対して「札を投げ渡すな」とは言っても、県外の方々に対して「札を投げ渡すな」と言うつもりはありません。反論されるのが怖いというのもありますが、選手・指導者それぞれの考え方があるでしょうしね。ただ、僕は「札を投げ渡さない」という行為を自ら実践し、この考えに賛同いただける方が少しずつでも良いので増えていってくれればなと願うのみです。

競技かるたの試合中に周りに置いて良いもの

ここでは何度も言っていることだが、僕は競技かるたのルールが曖昧なのが嫌いだ。競技かるたが制定されて100年以上が経つが、残念なことにルール自体は100年前とほとんど変わりがないのだから、全然成長してないな……と思ってしまう。

とある公認大会のA級の試合を見ているときだった。なにやらノートに文字を書きながら、15分間の暗記時間を過ごしている選手がいた。そんなシーンは初めて見たのだが、確かにルール上はこの行為は禁じられていない。後から、その選手にノートに文字を書いていた理由を尋ねると、「暗記がなかなか出来ないから、ノートに書いて覚えている」との事だった。

その話を聞きながら、僕は「あ、デジカメで札の配置を写真に撮れば良いんじゃ?」と思った。まず、お互いに札を並べ終わった直後に、デジカメで配置の状態を写真に撮り、席を外す。後は、デジカメを見ながら気ままに暗記。素振りもし放題……なんて言う、悪知恵が働いてしまった。あ、これを実行して怒られても僕は責任持ちませんよ(笑)

で、ここで僕が言いたいのは、こんな悪知恵のことではなくて、「競技かるたの試合中に周りに置いて良いものは、ルールで決めるべきなのではないだろうか?」ということだ。実際の大会等では、試合中に自分の周りに置いてあるものとして、『タオル、ハンカチ、ティッシュ、時計、ヘアピン、髪留め、メガネ、メガネケース、ざぶとん、上着、携帯電話、財布、救急道具』などがあるのだが、置くことが出来るものが自由すぎる気がする。そこで、ブラックリスト法、ホワイトリスト法の2つの方法で、自分の周りに置いて良いものを規制する文章を考えてみた。

ブラックリスト法

試合中は、身の周りに以下の物を置くことを禁ずる。
・筆記用具、携帯電話、カメラ、ビデオなど、状況を記録できるもの
・飲食物
・その他、審判長が不適切だと認めたもの

ホワイトリスト法

試合中は、身の周りに以下の物を置くことを認める。
・タオル、ハンカチ、ティッシュ等のエチケット用品
・サポーター、座布団等の緩衝用品
・救急用品
・時計、ストップウォッチ等(ただし、状況を記録できる機能を持つものを除く)
・その他、審判長が適切だと認めたもの

……どっちにしろ書くのが難しい。まぁ、原則的には身の回りには何も置かないスタイルが一番で、試合を行う上で不都合が起こるときに周りに置いた道具で補うことが認められる、という意識が良いのかなと思います。

ちなみに、僕が試合中に周りに置いているのは、暑い時期のタオルくらいですかね。そろそろ、タオルが必要になる時期だなー。

小倉百人一首の札の裏に書くべき文字

競技かるたで使用する小倉百人一首の札の裏には、一般的には文字や数字などが書かれている。これは、他の組の札と混ざり合ってしまわないように、同じ組を表すために書かれているものなのだが、ときどき「こんな文字を書くんじゃねーよ!」と突っ込みたくなってしまうことがある。

1.小倉百人一首の歌の一部が書かれている

例えば、札の裏に『あさぼらけ』と書かれていたとしよう。すると、札を探しに行くときに「『あさぼらけ』の『よのなかは』の札来てませんかー?」と、分かりづらいことを言いことになってしまう。だから、小倉百人一首の歌の一部……特に上の句の始めの方に使われている単語は使用しない方が良い。

2.難読漢字が書かれている

以前、とある高校に行ったときに、読めない漢字が札の裏に書かれてあった。「これ……どう読むの?」と聞くと、「さて、どう読むんでしょうか?」とニコニコしながら聞き返された。どうやら、わざと難読漢字を書いて楽しんでいたようだった。ややこしいことするんじゃねー!

3.読み方が何通りかある文字が書かれている

例えば、札の裏に『平和』と書いてあったとする。普通は『へいわ』と読むのだろうが、麻雀好きの場合だととっさに『ぴんふ』と読んでしまう可能性がある。こうなってしまうと、声を上げて札を探しにいってもうまくマッチングしない可能性が出てきてしまう。

4.反対側から見ると、違う文字として見える

これは、数字の場合の多い現象なのだが、『606』と書かれている場合、逆さから見ると『909』に見えてしまう可能性がある。だから、札の裏に書く文字を数字だけで構成する場合には、『01689』といった逆さからも読めるような数字だけにするのは止めたほうが良い。

5.書き方が統一されていない

札の裏に書く文字は、極力同じ場所に、同じ大きさで、同じような文字を書くべきである。そうしないと、札の裏を見ただけでその札が何か分かってしまう状態になってしまう。某高校にも、漢字で書かれている中にカタカナやローマ字で書かれているという、バラバラな状態で書かれた札があるが、例えそれらの札の表が何か分からなくても、気分的に嫌です。

6.書き間違えている

上記と同じような感じです。書き間違えて、油性ペンで塗りつぶされていたりすると目に付いちゃいますね。

7.文字じゃなくて記号が書かれている

どう読めば良いか困ります。

8.ネタ的な意味を持つ文字が書かれている

例えば、「すみません、こちらに『そんなの関係ねぇ!』の札来てませんかー」とか、大声で叫ぶと集中力切れちゃうよね。

とりあえず、僕がぱっと思いついたのはこれくらいかな。もしこれから、新品の札に文字を書いていく作業をする人がいたら参考にしてみてください。

『出札が悪い』というのは、主観的な感想にすぎない

ときどき、競技かるたの試合に負けたときに「出札が悪かったから」と言っている人がいるが、自分にとって出札が悪かったとしても、それが相手にとって出札が良かったとは限らない。得意札、苦手札、戦術、スタイルなどは選手によって様々だから、自分にとって出札が悪かったとしても、同時に相手も出札が悪かったと感じていることがあると思う。

というわけで、出札の悪さを敗因だと特定する場合には、「そのときの試合の出札の具合が、相手にとってどのように影響したか」ということまで考慮しないと、単なる負け惜しみにしかならず、その試合を冷静に省みることができなくなってしまうような気がします。

これは特定の誰かに対する意見ではなく、ついつい敗因を運の悪さや流れのせいにしてしまいがちな自分自身に対する戒めです。仮にそのように思ってしまったとしても、口や態度に表さないように注意しとかなきゃなー。かるたに限らず、色々なことでね。

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同時?同時じゃない?

競技かるたでは、お互いの選手が同時に札に触れることを『セイム(セーム)』と呼ぶ。語源は英語の『same』であることからきており、今現在の全日協の競技規程では、セイムに関して第5条に次のように明記されている。

出札に触れたる手が同時の場合は当該札の所有者之を取りたるものと見做す。但、共に札押しの場合は、出札に近く触れたる者が取りたるものとする。

このルールが存在するため、審判がつかない状況で試合を行うことが多い競技かるたでは、「私の方が早い」「いや、今のは同時だ」という主張がたびたび行われる。この様な場合は、どちらかが札際を良く見ていないか、嘘をついてしまっている場合が多いのだが、実はどちらの主張も正しい場合もある思う。

そもそも、札に同時に触っているように見えたとしても、実際にはどちらかがほんのわずかだけ先に触っているものであり、物理的に『完全な同時』ということはあり得ないと思う。しかし、人間の目ではそれを判定できないので、ある程度の範囲を『同時』だと認識している。

そして、人によって同時だと認識する範囲が違い、また試合に勝ちたいという主観的な願望から、その時々によって認識の範囲が変わってくるだろうから、一方の選手が『同時』だと認識して、他方の選手が『自分が早い』と認識してしまうことがあると思う。

やはり、競技者同士の判定によって試合が進行していく競技かるたでは、こういったところが難しいですねー。

ちなみに、僕が主張をするときには『セイム』や『同時』という言葉は使用せずに、「あなたの方が先に触ったということはないと思うんですけど……」という言い回しをすることが多いです。これには特に深い意味はないのだが、『セイム』という横文字をあまり使用したくないという思いから、自然と違う言い回しの主張をするようになっちゃっていました。

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もし、競技かるたの札が横書きだったら……

最近、段々と横書きが主流の世の中になってきた。新聞や本を読まない人は縦書きで書かれた文字をあまり見ないのではないだろうか?新聞の代わりのネットニュースは横書きだし、最近では小説であってもケータイ小説のような横書きのものが増えてきた。

そんなことを考えていると、ふと、「もし、競技かるたの札が横書きだったらどうなっているのか?」という疑問が浮かんだのでさっそく画像を作ってみた。札画像作成のページには、横書き変換機能をつけていたので、ちょちょいっと1番から5番までの百人一首の札画像で試してみました。

あきのはるすあしたごおく

おおっ!『おく』の札を横書きにすると『き』の文字が3つ並ぶっ!この事に気がついたのは、もしかしたら僕が初めてなんじゃないでしょうか?(笑)それにしても、横書きだとなんか違和感があるなぁ……やっぱりかるたは縦書きが一番ですね。

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札に関する規程は決めた方が良いんじゃ?

競技かるたをやっていると、色んな札で試合をする機会があります。最近は、大石天狗堂製の札が一番普及しているような気がするが、色んな会社から色んなタイプの札が発売されています。しかし、全日本かるた協会の競技規程や競技会規程には札自体に関する条項は、今のところ見当たらない。

つまり、通常の札よりも小さいサイズの札、決まり字が書いてある札、読み札、下の句かるたの板かるた、愛国百人一首の札、といった札で試合をしても規程上はなんら問題は無いわけです。これらは極端な例だけど、大会で今にもちぎれそうな札や、極端に反り曲がっている札が用意されていると、取りに影響が出てしまう可能性がある。

今の競技規程・競技会規程は不備だらけであり、どんどんと改定されていくことが望まれる。全日協の上層部の方々がこのブログを見ているかどうかは知らないけど、競技規程の改定についてはもっと力を注いでみんなで協力し、より良いものを作り上げていって欲しいです。

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かるたはスポーツだ

今日、ネットをやっていたら下の句かるた協会競技規程の文書を発見した。下の句かるたとは、主に北海道で行われている百人一首競技かるたのことで、札が板でつくられていたり、決まり字が違ったりと僕たちがやっている競技かるたとは結構趣向が違う。どのように違うかは、以前の日記(2006-02-03 下の句かるた)でもご覧ください。

さて、この下の句かるた協会競技規程だが、社団法人子ども会育成連合会のサイトの「子どもかるた大会 > 北海道子どもかるた大会 規定・要領」のページより見ることができます。すると、さっそくこのような文章が目に留まる。

第1条 出場選手は、大会規程を守り、スポーツ精神に則り正々堂々競技すること。

なるほど……下の句かるたの場合は、競技規程ではっきりと「かるたはスポーツだ」と明記してあるわけです。全日本かるた協会の競技規程にもこのような条項を追加して欲しいですね。以前日記に書いたかるた道精神(2006-02-18 かるた道精神とは?)みたいなのをね。今の競技規程は、ルールだけを羅列しているだけで、どのような心構えで競技をすべきかが書いていないですからね。

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どっちに向かって礼をすべきなのか?

さて、今日は皆さんに質問があります。それは『テープや読みソフトを使った競技かるたの試合の時は、どこに向かって礼をすべきか?』ということです。読手がいる場合には、対戦相手に礼をした後に読手に礼をしてから試合が始まるのだが、読手が機械の場合はどのようにすべきなのだろうか?いくつか考え方がある思う。

(1)音の発生源に対して礼をすべき

対戦相手に礼をした後に音の発生源(ラジカセ、パソコン、ありあけ等)に向かって礼をします。試合をしながら操作をする者も2回目の礼をします。

(2)操作者に対して礼をすべき

対戦相手に礼をした後に操作者に対して礼をします。ただし、試合をしながら操作をする者は2回目の礼をする必要がなく、その対戦相手は同じ相手に2回礼をすることになる……と思う。

(3)どっちでも良い

特に決められていないし、どっちでも良いじゃないか、という考え。

(4)どっちにも礼をすべき

対戦相手に礼をした後に、音の発生源と操作者の両方に礼をする。

(5)礼をしない

読手が人間じゃないから、礼をする必要はない!という考え。「お願いします」の声が1回しか聞こえてこないのは、なんかリズムが狂いそう。

リモコン式でなくボタンを押すタイプの機会であれば、音の発生源と操作者の位置が同じになるので、(1)と(2)の違いは操作者が試合をしている状態がどうかだけですね。

ちなみに僕の場合は、ずっと(1)の考えで試合を行っていました。だけど、去年宮崎の練習にお邪魔したときには、他の選手達が(2)の考えで礼をしていたような気がする。これは、地域によって違うんでしょうかね?

どっちなんだいっ!?

僕は一応A級選手なので、ときどき審判として判定をすることがある。そこで困るのが『お互いの言い分が違うときの判定』だ。どっちが取ったかという主張の場合は、最終的に『自陣の取り』ということで納得してもらうのだが、共お手か片お手かという主張の場合は対応に困る。

そういった場合、僕は共お手として処理してもらっているのだが、どのように対応するのが一番良いのだろうか?「お互いに言っていることが違うので、ノーカウントで送りなしということになります」とか言っておけばいいのかなぁ……?

参段の存在意義

結構最近知った話なのだが、全日本かるた協会が社団法人化される前までは、参段でA級となっていたようだ。おそらく『初段=C級』『弐段=B級』『参段以上=A級』というようになっていたのだと思う。しかし、現在では『初段=C級』『弐段、参段=B級』『四段以上=A級』になっている。全日協が昇段申請費による収入を増やすためにこうなったと邪推できるが、個人的には現在の昇段の状態には不満がある。箇条書きしてみると、

  1. 弐段と参段とで実力的な差があまり感じられない
  2. 参段の選手の中でも、B級準優勝経験済みの権利の有無がある

一応お断りしておくと、これは参段の選手に対する実力の否定ではなく、現在の昇段制度そのものに対する意見なので、参段の選手たちは気を悪くしないでくださいね(汗)

(1)は個人的な見解です。僕が出場する大会が参加人数が少ないからこう思うだけで、参加人数が多いところでは違うと思います。(2)はB級準優勝2回でA級になれるという制度があるのに、参段への昇段基準はB級3位入賞とちぐはぐな状態になっている。参段の昇段基準もB級準優勝に固定しちゃえばいいのに。もしくは、以前のように参段以上がA級という状態に戻すと分かりやすいと思う。まぁ、現在の全日協は財政難の状態だろうから、僕の意見のような昇段基準になることは絶対にないだろうけどね。

名人戦・クイーン戦予選について

そういえば、毎年場所を変えて行っていた女流選手権だが、今年の11月から京都市開催固定になるようだ。で、代わりと言っては何だが、逆に毎年開催場所を変えるように変更して欲しい大会がある。それは、名人戦・クイーン戦予選だ。

僕は熊本の人間なので西日本に属するわけだが、毎年西日本の東端にある滋賀県で行われているという事実が気に入らない。どう考えてもこの時点で不公平だ。予選会場の近くのA級選手たちは「名人(クイーン)になる気はないけど、大会に出たいから」という軽い気持ちで出場できちゃうわけだしね。だから、西日本の場合は『近畿、中国、四国、九州』と毎年場所を変えて行って欲しい。女流選手権が場所を変えながら10年以上運営できてたんだから、こういう変更くらい出来るんじゃないかなー。まぁ、全然運営のことを知らないやつの意見ですけどね(苦笑)

場所を変えて大会を行うことが不可能だとしても、あらかじめ各地区で代表選手を絞って予選を行うなど、何かしら仕組みを変えたほうが良いような気がします。

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第30回高校総合文化祭観戦記6【感想編】

今回も、まとめとして高校総合文化祭を見た感想を書きます。

まず思ったのは、高校選手権と比べて声かけの量が少ないように思えた。これは、普段一緒に練習をし慣れていない、他の高校とチームを組んでいたからだと思う。ただ、相変わらず自分が取ったときよりも相手がお手つきしたときの方が、多くの声かけがされていたようだった。

また、ずっと2階から観戦していて気がついたのが『試合終了時の礼が適当すぎる選手が多い』という事だった。全く礼をしていないように見える選手すらいた。総合文化祭には都道府県の代表として出場しているのだから、最後の礼くらいはしっかりとやって欲しいと思った。負けて悔しい気持ちは分かるが、最後の礼すらきちんとできないのは、試合に負けること以上に恥ずかしいことだと思う。

あと、これは高校選手権にも言えることなのだが、参加チームが32を超えたときの運営は大変そうだなと思った。今回に関して言えば、棄権チームが分かった時点でG~Iブロックのチームは、2試合終えた時点での各ブロック1位の勝ち数を比べ、その中での1位は決勝進出、2位と3位が決勝進出をかけて試合を行う……としておけば、選手たちが不平等さを感じることはなかったのではないかと思う(この方法の場合、G~Iブロックで決勝進出できる確率は22%)。まぁ、今回は運営上仕方がなかったんだろうけどね。

<おしまい>

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第28回高校選手権観戦記7【感想編】

7回にわたって書いてきた高校選手権観戦記もそろそろ終わりにしようと思います。最後は、高校選手権を見ての全体的な感想です。

まず、試合を見て思ったのが「声かけのマナーや、試合中のマナーが悪い選手が(僕の予想以上に)多すぎる」ということだった。声かけについては、団体戦の試合を観戦していた方たちなら知っているだろうが、再三審判から注意がされていた。一番多く注意されたのが、何度も「チャンス」と声かけをすることに対してだった。審判からは「相手のミスを喜んでみんなで威圧するような声かけをするのではなく、自分の試合に集中しろ」というニュアンスの注意がなされた。「チャンス」という声かけについては以前日記に書いた(2006-05-10 「ラッキー」と「チャンス」)のだが、僕も審判の意見に賛成ですね。個人的には、1回のお手つきに対して1,2回「チャンス」と言うのはあまり何も感じないのだが、5,6回も「チャンス」と言うのは見ていて「なんだかなぁ……」という気分になった。

試合中のマナーについては、中腰・立てひざ・立ち上がって札を暗記を続けている選手が多く見受けられた。熊本でそういうことをしている選手がいたら絶対注意するんだけどね。また、手の上げ方が下手な選手も多すぎ。読手と反対側の手を真横に上げても見えないって!最後に極めつけは、主張で嘘をつく選手。主張を聞いていると、明らかに最初に言っていたのと最後に言っている内容が違っている……本当にそういう行為は止めて欲しいです。

今回の高校選手権では、クイーンの取りを見て何かを学ぼうとした選手も多かったと思う。しかし、クイーン自身は前述のようなマナーはしっかり出来ている上で強くなっているのだ。高校生たちは彼女の取りを見て学ぶ前に、まずはしっかりとしたマナーを見習って欲しいものだ。

<おしまい>

かるた展望第43号を読んでの感想

まず1ページ目を読むとこんな文章で締めくくられていた。

競技かるたを崇高な文化と捉えている人の期待に応えて行くことが必要であり、その第一歩が和装ユニフォームであろう

前号のかるた展望のとき(2005-12-29 やっぱり和装に賛同できない……)に続いて、またもや1ページ目から和装の話でテンションダウン。相変わらず、何故和装にしなければいけないかという根本的なことは触れずに、和装化が必要だという主張が書き綴られていた。なんか、役職についている方々の和装についての意見は、競技者の立場について書かれたものはほとんどなく、非競技者にどういうイメージを持たれるかという意見ばっかりのような気がする。そして、国民文化祭のページには以下のような文章があった。

「大賛成。夏から着物で練習する。柔道着で参加したい」等好意的な反響も多く、(中略)「和装での大会」は、参加数に影響は見られなかったが、これも参加都府県の皆様のご理解、ご協力によるものと、感謝申し上げます。

この文章を読んで、ものすごく偏った文章を書くな……と思った。実際には、好意的な反響よりも反対意見が圧倒的に多いはずである。そして、参加数に影響がなかったのは、国民文化祭が団体戦であることと、出場メンバーの参加資格が曖昧なために出場可能な都府県が複数あるからだと思う。僕のように「和装だから出ない!」という人がいても、「和装でも出るよ」という人でメンバーを集めているので参加数が減らないだけである。そういえば、競技規程のどこにも書いてもいない服装の義務化を勝手に課して大会を行った愛知大会は、参加人数が減っていた気がするけどね。

ランク付け

木造Aが優勝/高校かるた県予選(東奥日報)

各地、だんだんと出場校が決まってきたみたいですね。去年は、各出場校のランク付け等が掲示板で行われていたんですが、今年はあまりそういう書き込みはして欲しくないですね……何段が何人いるかという客観的事実の書き込みは別にいいと思うけど、それによって実力を勝手にランク付けするのが嫌になってきた。そもそも、見たこともない選手たちを評価するのはナンセンスだし選手たち自身に失礼な行為だと思うからね。

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「ラッキー」と「チャンス」

ishtvan氏が団体戦の声かけについてという記事を書いていたので、僕も書いてみようかなと思う。話題は「ラッキー」や「チャンス」といった声かけについてだ。この言葉は、主に相手がお手つき等のミスを犯したときに、自チームの仲間もしくは自分自身から発せられる声かけである。僕が高校の頃は周りでこのような言葉を聞くことは少なかったのだが、今ではときどき「チャンス」という声かけを耳にする。

僕が実際に団体戦でこれらの言葉をかけられた場合、たいていは軽く相槌をうつだけになってしまう……何と返答していいか分からないからだ。言葉をかけている人の意図というものが分からない。ただ単に『相手がお手つきしたから「チャンス」と声かけをしよう』という機械的な考えからの声かけのように思えてしまう。

そもそも「ラッキー」や「チャンス」などと声をかけてもらわなくても、相手がお手つきしてくれたことはラッキーであり、そこに付け込むチャンスだということは分かりきっているのだから、これらの声かけは味方へ向けられているのではなく、相手に向けられているのではないだろうか?団体戦では相手への声かけは禁止されているはずなので、これらの声かけも禁止とまではいかなくとも使用を控えるべきではないかと思う。

と、これらの声かけに対して批判的な意見を書いたのだが、僕は相手チームが使用しても特に何も感じません。ただ、味方が使用した場合、ishtvan氏同様テンションが下がるのであまりやって欲しくないですね。

かるた道精神とは?

『かるた道精神とは一体何なのか?』以前某サイトの掲示板でこの話題が出ていた。そのとき、どのような議論がなされたかは覚えていないが、確かにかるた道精神とは一体何なのだろうか?選手宣誓でよく使われるセリフということしか分かっていない。ちなみに、カーリングにはカーリング精神というものがあり、競技規程で次のように明記されている。

カーリングは技量と伝統のスポーツです。的確に達成されショットは、見た目にも楽しいものですが、それだけにとどまらず、ゲームの真髄に活かされている由緒ある伝統を観ることは、素晴らしいことです。カーラーは勝つためにプレーしますが、決して相手をいやしめるようなことはしません。真のカーラーは、フェアーでない勝ちよりも、むしろ負けることを選びます。
良いカーラーは、相手の気を散らしたり、相手のベストを尽くしたプレーを妨げるようなことは決してしません。
カーラーは、意図的に競技の規則や慣習を破ることは決してしません。しかし、不注意にも破ってしまい、それに気づいた場合は、まっさきに違反を申し出ます。
カーリングゲームの主な目的は、競技者の相対的な技量を決定することですが、一方、ゲームの精神は、立派なスポーツマンシップ、親切な思いやり、高潔な態度を強く求めています。
この精神は、競技規則の解釈や適用に活かされるべきであると同時に、アイス上、アイス外を問わず、すべての参加関係者の行為に活かされるべきです。

なるほど……勝利のみを求めるのは、真のスポーツマンにあらず!といった感じでしょうか。僕は、競技かるたの競技規程もかるた道精神を載せるべきじゃないかと思った。競技かるたは、他のスポーツや競技以上に審判が見ていない場面での争いが良く起きるので、競技規程のたくさんの抜け穴を利用して勝利のみを求めるという人が現れる可能性がある。そこで、かるた道精神を記載することによってやんわりとその規制が出来ないかなと思う。以下、カーリング精神をパクったかるた道精神案です。

競技かるたは技量と伝統の競技です。的確な取りは、見た目にも楽しいものですが、それだけにとどまらず、競技の真髄に活かされている由緒ある伝統を観ることは、素晴らしいことです。選手は勝つためにプレーしますが、決して相手をいやしめるようなことはしません。真の選手は、フェアーでない勝ちよりも、むしろ負けることを選びます。
良い選手は、相手の気を散らしたり、相手のベストを尽くしたプレーを妨げるようなことは決してしません。
選手は、意図的に競技の規則や慣習を破ることは決してしません。しかし、不注意にも破ってしまい、それに気づいた場合は、まっさきに違反を申し出ます。
競技かるたの主な目的は、競技者の相対的な技量を決定することですが、一方、競技の精神は、立派なスポーツマンシップ、親切な思いやり、高潔な態度を強く求めています。
この精神は、競技規則の解釈や適用に活かされるべきであると同時に、上、外を問わず、すべての参加関係者の行為に活かされるべきです。

ちょっと変えただけだけど、なかなかいい感じに思える。今年の競技規程改正案に関する意見の提出はもう遅いだろうから、来年この意見を提出しようかな。

和装義務化のお話

久しぶりにまた考えて見ました。和装義務化したい人たちは、いったいどういう人たちが多いのか考えてみた。

  • 強いA級選手
  • 役職についている方
  • 都会の会に所属している方

僕の勝手な想像でしかありませんが、こういった方々が和装義務化に賛成しているように思える。逆に言えばこれらに当てはまらない方は、この問題に対して反対・無関心、義務化の動きを知らない人たちが多いように思える。

そこでひとつ提案なのですが、本当に和装が良いと考えるならば、まず所属会単位で和装義務の規定を設けるべきだと思います。所属会会則として『大会出場時は、和装を着用すべし』という項目を追加し大会に出場する。そして、自然と大会に和装で出場する人が多くなっていく……なぜ、それをせずにいきなり大会全体で義務化しようとするのだろうか?僕には理解できない。

以前も言ったことだが、委任状のハガキに『和装義務化についてどう思いますか?』という質問文を書いておくとか、公認大会でアンケートを書いてもらうとかそういったことをやって、全体の意見を汲み取って欲しいと思います。あ、そういえば、大学選手権大会のときの『知る人ぞ知る』ってドコが作ってるんだったっけ?あれに『和装義務化についてのコメント』という欄があったら結構面白いかもしれない(笑)

競技規程改正案

以前この日記で書いたルールが変わるという話(2005-12-01 競技かるたのルールが変わる……かもしれない)ですが、どうやら改正案の意見を求めるために各会等に文書が発送されたようです。僕は軽く目を通しただけなのですが、ツッコミどころ満載だった従来のルールがかなり良いものに仕上がっているように思えました。その中であえてツッコむとすれば、ルールに反した行動を起こした場合の処置が決められていないということくらいですかね。『○○に反した場合、その都度札を一枚送られる』などの罰則規定を設けておいた方がいいのではないかと思いました。

まぁしかし、残念なのがすべての人がこの改正案を見れるわけではないということですかね。みんなに見てもらうためにこのサイトに転載するというのは……まずいのかな?

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