Category:雑学
「末の松山浪こさじ」百人一首に残る1100年前の大津波の秘密
というわけで、小倉百人一首にもある「契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 浪こさじとは(詠み人:清原元輔)」と、東日本大震災に関する記事です。
この歌を、東日本大震災のニュースで耳にしたことがある方も多いのではないかと思います。歌は想いだけではなく、歴史も伝えていくものなんですね。
初期の宝塚劇団員の芸名は、全て小倉百人一首が由来だった
女性だけで構成される『宝塚歌劇団』劇団員の芸名は、当初は百人一首にちなんで名付けられていました。Wikipediaによると、
創立当初、劇団員の芸名は百人一首にちなんだ名がつけられていたが、ネタが尽きたため百人一首に固執せず、現在では劇団員が自分で自由につけている。過去にタカラヅカにあった芸名と被らないようになっているが、瀧川末子のように親娘3代で名乗る(2代目のみ「滝川」)芸名もある
とのこと。なるほど……じゃあ、百人一首ネタがいつ尽きたのかを調べてみようじゃありませんか!
“百人一首”かるた競技大会(第40回太宰府大会)
というわけで、本日行われた太宰府大会の記事です。動画付きで紹介されているので、ちょこっと解説しておきます。
和装で試合をしている人が多い理由
多分お正月だからです。大会として着用を義務づけることは行っていません。個人的には和装を義務化する動きには反対なのですが、このように自主的に和装で大会に出場する選手は好感が持てますね。
序歌がいつもと違う
菅原道真ゆかりの地である太宰府天満宮で大会が行われていることもあって、序歌には菅原道真が詠んだ歌が使用されています。
東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
ちなみに、菅原道真は『菅家』という作者名で『このたびは』の歌が小倉百人一首に選ばれています。だから僕が太宰府大会に出場している時は、「『この』の札は取りたいな」というオカルト的な目標を掲げたりしていましたね(笑)
読み札が白黒の理由
動画で読み札が見えると思いますが、作者の絵柄には色が塗ってありません。これは、購入したい人が好きなように塗り絵が出来るように敢えてこのようにしてあるのです。
……というのは冗談で、札を取り出す時などに読み札がちらっと見えてしまった場合、着色されていると次に読まれる札を推測しやすくなるんですよね。だから、特別に色が塗られていない読み札が使用されています。
競技かるたは男性と女性のどちらが強いのか?
競技かるたは、男性と女性が同じ土俵で戦える競技だ。クイーン戦や女流選手権は性別制限が設けられているが、基本的には男女一緒に大会が行われている。
では、男性と女性とではどちらが強いのでしょうか?
ということで、2008年に全日本かるた協会主催で行われた大会データ(名人戦、クイーン戦、選抜順位戦、女流を除く)から、男性と女性のデータを比較してみることにした。譲りによる勝敗は集計していません。
性別は名前の雰囲気から僕が勝手に判断しているので、正しい統計データではありません。また、なんとなく気になって調べただけで、集計方法に誤りがある可能性も大いに考えられるので、あくまでも参考程度にご覧ください。
条件に該当するデータを集計してみると、2008年の公認大会は43回行われ、延べ参加人数は2107人。異性対決は995試合行われていた。男性女性で比較してみるとこのようになった。
男性 | 女性 | |
---|---|---|
優勝回数 | 26回(60.5%) | 17回(39.5%) |
参加人数 | 1289人(61.2%) | 818人(38.9%) |
異性対決 | 543勝(54.6%) | 452勝(45.4%) |
A級の公認大会の優勝回数は男性の方が多いが、述べ参加人数自体も男性の方が多く、その割合は比例しているようだ。異性対決を見ると、若干男性の方が勝率が高いが、思ったほどの開きは見られなかった。
今回は2008年のデータのみを使用したので、多くのデータを使用すれば違う結果が出るのかもしれません。ただ、思っていた以上に男女の差が少なく、改めて競技かるたが男女問わず一緒に行える競技なのだなと再認識しました。
百人一首の日だから、百人一首の話でもしてみる
毎年、サイト上のどこかに書いているような気がするのだが、本日5月27日は『百人一首の日』であります。
1235年5月27日ごろに、藤原定家が宇都宮入道蓮生の求めにより和歌百首を書写し、これが嵯峨の小倉山荘の障子に貼られた……というのが由来らしい。
ちなみに、『小倉山荘』だったから『小倉百人一首』になったわけです。だから、正確には『小倉百人一首の日』というべきなのかもしれませんね。
せっかくなので、競技かるたをやっている人で、歌や作者に全く興味がない人のためにちょっぴり雑学を書いておきます。
まずは、小倉百人一首の番号。どのような順番になっているかを知っていますか?これは、基本的に年代順となっています。
1首目『あきのたの』の作者は『天智天皇(中大兄皇子)』。小学校の社会で頑張って覚えたであろう大化の改新
(645年)時代の人物です。
ここで少し話がそれるが、うちの父が「蘇我氏一族って、バカにされてるよね」という話をしていたことがあった。理由を尋ねると、「蘇我蝦夷
は嫌な名前だし、蘇我馬子
と蘇我入鹿
は動物の名前を充てられている上に、文字を組み合わせると『馬鹿』になる」との事だった。
確かに、後から卑しい名前を後付けされて後生に伝えられていった可能性はあるのだが、単なる一説に過ぎないような気がするなぁ……
100首目『ももしきや』の作者は『順徳院(順徳天皇)』。鎌倉時代
に起こった承久の乱
(1221年)あたりの人物です。
ちなみに、現在熊本大会が行われている『大慈禅寺』は、順徳天皇の第3皇子が建てた曹洞宗のお寺であり、何気に小倉百人一首とつながりがある場所なんですよね。
このように、1番目から100番目まで約600年に渡って様々な歌が選ばれています。研究家の間ではこの並び順や選んだ歌には暗号や謎が隠されている、という説もありますが真相は不明。
個人的には、そういう難しいことよりも、藤原定家が自身が読んだ歌(97番の『こぬひとを』)を100首の中に入れたことの方が面白いなと思っています。僕だったら、自分の歌を入れておくなんてできませんわ(笑)
[Amazon: 4041314240][Amazon: 4790707288][Amazon: 4251078012]何故『源平戦』という名称なのか
ちょっと前のことなのだが、競技かるたの話をしているときに、「何で源平戦って言うんだろうね」という話題になった。源平戦(源平合戦)は、1組の札を使用して3人対3人で行う試合形式の競技かるたの事を指すのだが、そう言えば名前の由来については考えたことがなかった。
僕は、歴史には詳しくないので、源氏や平氏に関する歴史的背景は全く分かりません。なので、ネットで色々と情報収集してみると、Wikipediaの紅白という項目にそれらしき記述があった。
紅白は、日本では主に「対抗する2組」を表す。そのルーツは諸説あるが、そのひとつに源平合戦とする説がある。源氏が白旗を、平氏が紅旗を掲げて戦った。合戦に用いられた配色であり、また、対照的な色合いでもあることから、以来、対抗する配色として用いられるようになったようである。
なるほど……『源平戦』という言葉の意味合い自体が、『対抗する2組』を表していたわけですね。おそらく、『紅白戦』でも同じような意味になるのに、『源平戦』という名称が使われるようになった理由は、「そっちの方が百人一首っぽいからなのかな……」とか勝手に想像しちゃいました(笑)
『全日本かるた協会』と『日本かるた院本院』
1月3日に行われた『かるた始め』で読手を務められた、日本かるた院本院理事長の鈴山葵さんの取材記事です。記事中には、以下のような文面がある。
「規則があってないため、もめることも多い。札に同時に触れた場合は遠い人の勝ちなど、ルールを知ってほしい」
……なるほど。全日本かるた協会のルールでは、同時の場合には自陣の取り――つまり近い人の勝ちになるのだが、日本かるた院本院のルールの場合は逆なんですね。このルールで競技かるたを行ったら、運命戦でも自陣を取られちゃいそうで怖いですね(汗)
『日本かるた院本院』と聞いてもピンと来ない人が多いと思うので、ここで簡単に説明します。
今では、社団法人全日本かるた協会に、各都道府県で活動をしているかるた団体が参加するという形になっていますが、数十年前はかるた会も複数存在していました。詳しいことは知りませんが、方向性の違い等によるものなんでしょうかね。
そんな中、まだ全日本かるた協会が主催で名人位戦を行っていなかった頃に、初代名人位に輝いた鈴山透氏が設立したのが『日本かるた院本院』である。競技性よりも美しさや文化的側面を重要視しているようで、1月3日に毎年行われている『かるた始め』も日本かるた院本院が行っている。競技かるたが激しいスポーツ的側面を持っているにもかかわらず、和装で行うのが正しいという一般の人のイメージは、かるた始めがテレビニュースなどでも取り上げられるのも、ひとつの理由なのかもしれませんね。
ちなみに、こういった競技かるたの歴史については、Octopus's Pageの『かるたのページ』にて非常に詳しく書かれていますので、興味がある方はご覧になってみてはいかがでしょうか。
小野篁と足利学校
栃木県足利市の「足利学校さままつり」で、競技かるたの模範試合が行われた、という記事です。写真の様子や、同時に何選手もしている様子から察するに、観客に競技かるたがどのようなものを解説しながら試合というわけではなく、選手たちは真剣勝負だったのではないかなと思います。
「足利学校さままつり」を聞いたことがなかったので調べてみると、足利学校は日本最古の学校と言われているようです。学校の成立についてははっきりしていない点が多いのだが、小野篁
(おののたかむら)が創設者だという説があり、そのつながりで、競技かるたの模範試合が行われたわけです。
小野篁を知らない人のために簡単に説明すると、小野妹子の子孫、小野小町
の祖父と言われている人物です。ある時、上皇に怒られて隠岐に流されてしまいます。で、その時に詠まれた歌は小倉百人一首にもある、
和田の原 八十島かけて 漕き出でぬと 人には告げよ あまのつりぶね
です。小倉百人一首の作者名では、役職名を付けられて『参議篁』となっていると思います。
以上、ちょっとした雑学でした。競技かるたをやっている人は、このようにして少しずつでも小倉百人一首の背景に触れていくと面白いと思います。恥ずかしながら、僕は日本文学や日本史についての学がないので、偉そうなことを言える立場ではありませんが(汗)
競技かるたの取り札を中国語にするとこうなるのかっ!
競技かるたマンガ『かるた』の作者である竹下けんじろう
氏のブログに、『かるた』の台湾中文版コミックスの記事が書かれていました。その中に、マンガの画像が少し貼り付けてあり、取り札が中国語で描かれいているシーンがあります。そこに書かれている文字は、
漫漫長夜待,卻見有明月。
おそらくこれは、『今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな』の歌のことでしょうね。上の句と下の句の両方が2行で書かれています。日本の五七五七七の歌は、中国だと2句の五言詩になっちゃうんですね。なんか面白いです。100首全ての五言詩バージョンを見てみたいなぁ……コミックスでわざわざ書き換えられているということは、既に百人一首を五言詩に訳された一覧表が存在するのかもしれませんね。
[Amazon: 4253212913][Amazon: 4253212921]『西大津駅』は『大津京駅』に名称変更しているからご注意を
いよいよ今週末は高校選手権ですね。僕は今年も行くわけですが、ある生徒に「何年か前のブログに『もう高校選手権に行くのはこれが最後』とか書いてませんでしたっけ?」とか言われちゃいました(笑)そんなこと書いてたっけかなぁ……
ちなみに、高校選手権に行かれる方の中で、僕に会ってみたいという方がいらっしゃいましたら、メガネをかけて右手中指に湿布を巻いているナイスガイがいたらそれが僕なので、気軽に声をかけていただけると嬉しいです。
さて、高校選手権は滋賀県の近江神宮で行われるのだが、そこに行くためにほとんどの人が利用していたのが、湖西線の『西大津駅』だろう。しかし、2008年3月15日から『大津京駅』に名称変更となったので、僕のように毎年近江神宮に足を運んでいる人は違和感を感じるかもしれません。乗り過ごさないようにご注意を(笑)
で、近江神宮のサイトではこの変更がしっかりと修正されているのかが気になったので近江神宮の公式サイト(携帯非対応ページ)を見てみた。ちゃんとドメインを取得しているのに、独自ドメインが使用できないホームページサービスを利用しているから、トップページへの転送としてしか利用できていないですね……なんかもったいない。
話がそれましたが、その中の『交通案内』をクリックしてみてみると、近江神宮へアクセスするための地図の画像が掲載されているのだが……あ、無理矢理修正されている(笑)もともとの画像に『西大津駅』と書かれてあるのだが、多分それを修正できなかったんでしょうね。画像の上に、無理矢理『大津京駅』の文字を重ねて誤魔化しています。だから、画像をダウンロードして見てみると『西大津駅』の文字が見えちゃうんですよねー。まぁ、よく看板などで上からシールを貼り付けて文字を修正することがあるが、それと似た感じですね(笑)
番号による札分けを行って、決まり字が固まってしまうパターン
最近の大石天狗堂社製の取り札は、札番号が左下部分に□でかこまれた状態で記入されている。だから、書かれているこの数字を利用して、試合で使用する50枚の札を合わせるために『1の位が0,2,4,6,8の札を使用する』などと言った取り決めで、札分けを行って練習する場合がある。
このとき、どのような番号を選ぶとどのような札を使用することになるかは、番号による札分け(PC用コンテンツ)をつくって調べられるようにしたのだが、今日はどのような番号を選ぶと札に偏りが出るのかをちょっと調べてみた。
一字札がすべてある
1の位が0,1,2,7,8
10の位が1,2,5,7,8大山札がすべてある
1の位が0,1,4,5,6
10の位が1,3,5,6,7「た」札が全部
1の位が3,4,5,6,9
「こ」札が全部
10の位が1,2,4,6,9
「お」札が全部
1の位が0,2,4,5,6
「な」札が全部
10の位が1,2,3,5,8
「あ」札が13枚
10の位が0,3,5と(4,6,7)のうちどれか2つ
代表的なパターンだけ調べてみました。どうやら、番号による札分けを行うと、「わ」札が全部場にある状況は作り出せないみたいですね。
ここで、また数学的な考えをしてみましょうか(笑)番号による札分けを行う場合の全パターンは、
10C5 × 2 = 504(通り)
なので、例えば一字札がすべてある確率は252分の1(約0.4%)となるわけです。普通に無作為に50枚を選ぶ場合は、一字札がすべてある確率は、
93C43 / 100C50 = 0.0062398...
より、おおよそ160分の1(約0.6%)となります。
あー、また実用的じゃない調査で時間をつぶしてしまった(笑)
愛国百人一首の決まり字を本気で覚えることにした
というわけで、愛国百人一首競技かるたの札の決まり字を本気で覚えてみることにしました。多分決まり字さえ覚えてしまえば、僕はトップクラスの愛国百人一首競技かるたプレイヤーということになるでしょう(笑)愛国百人一首競技かるたの決まり字がどのようになっているかは、過去の記事をご覧ください(2008-04-13 愛国百人一首競技かるたをしてみませんか?、2008-04-15 プリントアウト用愛国百人一首札画像)。
まず、決まり字を覚える前に、パソコン用サイトのコンテンツである流しの練習を修正して、流しの練習 愛国百人一首verをつくってみた。そして、追加機能として、『札クリックで次へ進む』の状態で右クリックをすると、その札の決まり字をポップアップで教えてくれる機能を追加した。よし、これで決まり字確認のためのコンテンツの完成だー!
次に、愛国百人一首の決まり字の覚え方を考えてみることにした。小倉百人一首の場合は先人たちが語呂合わせで決まり字が覚えやすいように工夫されているのだが、愛国百人一首の場合はそれがない(知られていない)。だから、まずは語呂合わせから自分で考えてみることにした。
だけど……正直、難しすぎです。100枚中34枚が4文字以上の決まり字なので、うまい語呂合わせが出来ません。てか、13字決まりの語呂合わせってどうやるんだよ(涙)
100枚の決まり字を暗記できるのは、まだまだ先のようです。
愛国百人一首競技かるたをしてみませんか?
「百人一首」と聞くと、「小倉百人一首」を思い浮かべる人が多いと思うが、小倉百人一首の形式に習うようにして、後年様々な百人一首がつくられてきた。その中でも「愛国百人一首」は、実際にかるたとして販売され、大会も行われたことがあるということを知っている人はどれくらいいるのだろうか?
愛国百人一首は昭和十七年……戦時中の時代に、愛国の精神が表現された歌が100首選ばれた。選ばれた歌人は、柿本人麻呂や藤原定家といった小倉百人一首に選ばれている面々や、高杉晋作や徳川光圀(水戸黄門)といった有名人などが名を連ねている。歌は、「大君」「天皇」「君が代」「もののふ」「やまと」といった単語が多く見受けられ、恋歌が多い小倉百人一首とは様相が大きく変わっている。
では、この愛国百人一首で競技かるたを行った場合、決まり字がどのようになっているかを調べてみました。すると……かなり面白い結果となりました。
1枚札【む、た、に、ゆ、う、ひ】
6枚。これは普通ですね。多くもなく少なくもなく、ちょうど良い感じでしょう。
2枚札【は、く、し】
はつ、はる、くもりなきつ、くもりなきみ、しき、しず
3種類。普通だけど、いきなり6字決まりの札が出てきました。
3枚札【ふ、と、い、ま、わ、す】
ふじ、ふみ、ふる、とお、とりの、とりは、いわ、いのちを、いのちよ、まけ、ますらおが、ますらおの、われ、わがく、わがせ、すえ、すめが、すめろ
何か聞き慣れないような単語が出てきたぞ……
4枚札【ち】
ちょ、ちは、ちよふ、ちより
「ちょ」決まり!?「ちょ」と「ちよ」の聞き分けが難しそうだ(汗)
5枚札【も、や】
もろ、もののふのう、もののふのか、もののふのた、もののふのや、やつ、やまの、やまわ、やすみししわがおおきみのお、やすみししわがおおきみのし
はい、段々とおかしなことになってきました。「もののふの」で始まる6字決まりが4枚。そして、恐怖の13字決まりが登場。こんなに決まり字が長いと、読む方も一気に決まり字まで読まなくちゃいけないから大変そうです。
6枚札【み】
みか、みた、みち、みわ、みやば、みやま
これは結構普通かも。
8枚札【か】
かえ、かき、かぎ、かぐ、かけ、かし、かた、から
すべて2字決まりか……やりづらそうだ。
10枚札【き】
きょ、きみを、きみがためい、きみがためは、きみがよに、きみがよわい、きみがよわち、きみがよわつ、きみがよわま、きみがよを
うわー、「きみ」で始まる札が9枚あるぞ。ややこしくて、決まり字変化に対応できないって(汗)
12枚札【あ】
あじ、あおう、あおぐ、あおに、あしは、あしび、あまざ、あまの、あめつ、あめの、あらた、あられ
バランス的に、小倉百人一首の「あ札」とそこまで大差ないかも。
20枚札【お】
おき、おく、おと、おの、おも、おおぎ、おおきみに、おおきみのた、おおきみのみことかしこみい、おおきみのみことかしこみお、おおきみのみたてとなりてし、おおきみのみたてとなりてす、おおきみのみに、おおきみのみは、おおきみのみや、おおきみわ、おおみた、おおみや、おおやまと、おおやまの
なんじゃこりゃー!「おお」で始まる札が15枚だとっ!?決まり字が長い札ばかりで訳が分からないぞ。取れるかどうかは運次第になりそうだな……ん!?もしかして「大山札」の真の語源は、山を張って「おお」の札を取りに行くことからきてたりして……なんてことを考えちゃうくらい、取るのが難しそうだ。
次に、決まり字の長さ別で枚数を数えてみると、
- 1字決まり …… 6枚
- 2字決まり …… 35枚
- 3字決まり …… 25枚
- 4字決まり …… 4枚
- 5字決まり …… 8枚
- 6字決まり …… 13枚
- 7字決まり …… 3枚
- 13字決まり …… 6枚
決まり字が長い札が多いですねー。こうして見ると、小倉百人一首の決まり字は競技を行う上でかなりバランスが取れていると感じます。
どうですか?愛国百人一首をやってみたくなってきませんか?明日、時間があったら愛国百人一首の取り札と読み札の画像を作成してみようと思います。
参考サイト
何故、競技線は87cmなんだろうか?
競技かるたでは、競技線の横幅の広さは『87cm』と決められている。ルールで決められているから深く考えたことはなかったのだが、一体『87cm』という長さはどこから出てきたのだろうか?由来を全く知らない僕が推理してみようと思います。
『かるた』が『競技かるた』として成立したのは明治時代だと言われているが、当時は長さの単位として尺貫法が使用されており、『cm』というメートル法の単位は日本で一般的には使用されていなかったはずだ。
では、『87cm』を尺貫法に置き換えるとどうなるかというと、『二尺九寸(約87.9cm)』となる。うーん、ちょっと中途半端だ。変換結果が『三尺(約90.9cm)』になってくれればぴったりだったんだけどね。競技線の広さが元々『二尺九寸』と決められており、メートル法に変換されて『87cm』になったというのでは、説得力に欠ける。
だから、『二尺九寸』に関係するものでは何があるのかをネットで検索すると……あ、あった!どうやら、関東の畳が『五尺八寸 × 二尺九寸』のサイズを標準としているらしい。競技かるたで畳は不可欠な存在であることから、これはかなり関連性は高そうだ。
で、早々に推理の結論。昔は競技線の横幅はキリの良い長さである『三尺』と決められていたが、畳の短い側を競技線の横幅となるようにして試合を行うと、一寸分だけ畳から札がはみ出してしまう。だから、このときにはみ出さずにぴったり収まるように、『二尺九寸』へと競技線の広さが変更された。そして、日本でメートル法が採用されたことで『二尺九寸』の記述を『87cm』へと変換した。
うーん……推理してみたのは良いけど、当たっている自信が全然ない(汗)もし、競技線の長さが『87cm』である理由を知っている方がいらっしゃったら、ぜひお教えください!
下の句の最後の文字
競技かるたをやるときに、上の句の一字目をしっかりと集中するのは当然のことなのだが、その一字目の前に最後に聞いている音……つまり、下の句の最後の文字は何が一番多いんだろうなと気になった。まぁ、調べたところで全然役に立ちそうにないけどね(苦笑)
下の句の最後の文字
- 16枚……な
- 12枚……り
- 11枚……ん
- 10枚……る
- 6枚……き、れ
- 4枚……し、つ、に、お
- 3枚……わ
- 2枚……え、も、で
- 1枚……か、く、さ、て、ね、ま、み、や、ぎ、じ、ず、ど、ば
下の句の最後の母音
- 29枚……い
- 25枚……あ
- 16枚……う
- 12枚……え
- 11枚……ん
- 7枚……お
注)『思う』は『お』として集計しました。また、これは小倉百人一首100枚での集計なので、実際に読まれる下の句の割合を求めたいのであれば、序歌(『難波津に……』の歌であれば『な』)を集計に加えて考えてください。
もし、百人秀歌が競技かるたで使われていたら
『百人秀歌』とは、『小倉百人一首』の選者である藤原定家が書き残した選歌集であり、101首の歌より構成されている。その101首のうち97首は小倉百人一首と同じ歌であり、関連性がかなり高いのだが、どちらが先に作られたかということも含め、未だに解明されていないことが多い。歴史的や文学的なことはここでは置いておいて……もし小倉百人一首ではなく、百人秀歌が競技かるたで使われていたらどのようになっていたかを考えてみたいと思います。
小倉百人一首にあって百人秀歌に無い歌
『うか』『ひとも』『もも』の3首。これらの札が無かったものとして考えると、『う』と『も』の札は1字決まりの札となり、『ひ札』は『ひさ』と『ひと』だけの2枚札となる。1字決まりが9枚になってしまうのか……物凄く嫌だな(汗)
小倉百人一首に無くて百人秀歌にある歌
- 春日野の 下萌えわたる 草の上に つれなく見ゆる 春の淡雪
- 紀の国の 由良の岬に 拾ふてふ たまさかにだに 逢ひ見てしがな
- 山桜 咲きそめしより 久方の 雲居に見ゆる 滝の白糸
- 夜もすがら 契りし事を 忘れずは こひむ涙の 色ぞゆかしき
『春日野の』の歌の決まり字は『かす』で、『か札』が一枚増加。『紀の国の』の決まり字は『きの』で、『き札』が一枚増加。ここまでは普通ですね。
『山桜』の歌の決まり字は『やまざく』で、もともとあった決まり字の『やまざ』は『やまざと』になる。『夜もすがら 契りし事を……』の歌の決まり字は『よもすがらち』で、もともとあった決まり字の『よも』は『よもすがらね』になり、『よ札』は、『よを、よのなかは、よのなかよ、よもすがらも、よもすがらち』の長い札だらけの5枚ということになる。ややこしいぞー!
百人秀歌の決まり字
- [1枚札]むすめふさほせうも
- [2枚札]つく、つき、しの、しら、ゆう、ゆら、ひさ、ひと
- [3枚札]いまは、いまこ、いに、ちぎりき、ちぎりお、ちは
- [4枚札]はなの、はなさ、はるの、はるす、きみがためを、きみがためは、きり、きの
- [5枚札]みかの、みかき、みち、みせ、みよ、やまざと、やまざく、やまが、やえ、やす、よもすがらも、よもすがらち、よのなかは、よのなかよ、よを、かぜを、かぜそ、かく、かさ、かす、
- [6枚以上の札]小倉百人一首と同じ
百人秀歌の決まり字長さ別枚数
- 1字 7枚 → 9枚
- 2字 42枚 → 40枚
- 3字 37枚 → 34枚
- 4字 6枚 → 8枚
- 5字 2枚 → 2枚
- 6字 6枚 → 8枚
1、4、6字決まりの札が増えているので、小倉百人一首よりも紛れが起きやすそうな決まり字のバランスだ。取り札の枚数が101枚とバランスが悪いことを除けば、百人秀歌であっても競技かるたをやる上ではそこまで問題がないように思える。まぁ、そこまで大きな変化がないから、わざわざやってみようとは思わないけどね。
畳のサイズ
競技かるたをしている人は、普段お世話になっている畳。様々な場所で練習や試合をしている人は自然と気が付いていると思うが、畳の大きさは統一されていない。では、どういうサイズのものがあるかをWikipediaで調べてみた。
畳
なるほど……サイズの規格が存在していないのかっ!だとすると、畳のサイズに対して相対的に競技線を測るのは危険ですね。畳の目に対して垂直方向で試合をするときに、横幅が競技線の87cmに近いため、競技線を測らずに畳縁の位置から相対的に両端の位置を決めてしまう人がいますが、畳の大きさは均一ではないということを認識し、慣れていない練習場所のときにはちゃんと87cmを測りましょう。
「いまこ」の札の秘密
9月になってもう一週間経ったわけですが、旧暦9月は「長月」と呼ばれていた。百人一首では、「長月」が含まれているこんな歌があります。
今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
素性法師が詠んだ歌ですが、下の句が16文字になっているという困った歌です。というのも、競技かるたで使う札の文字レイアウトは基本的に3列×5行の計15文字を想定して作られているため、16文字だとあふれてしまうわけです。で、札の制作会社がこれにどのように対応しているかというと、
- 真ん中の列を「つきをまちい」と6文字にして詰める
- 左側の列を「いてつるかな」と6文字にして詰める
- 左側の列を「いつるかな」として、「て」の文字を省略する
- 左側の列を「てつるかな」として、「い」の文字を省略する
僕が実際に見たことがある札では、この4パターンが存在するようです。もし、これ以外のパターンが存在していたらご連絡ください。
七夕と小倉百人一首
今日は7月7日で七夕ですが、小倉百人一首の中には七夕に関する歌があるのを皆さんご存知でしょうか?その歌は、
鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける
中納言家持
一見すると七夕は関係ない歌のように思えますが、中国には『七夕の夜、かささぎが翼を広げて天の川に橋を架ける』という伝説があるらしいです。
この歌が詠まれたのは1000年以上前なのだが、その頃と比べると環境破壊が進み『感動できる情景』は随分少なくなっている。今、僕たちが見ている天の川は、家持たちも見ていた天の川と同じものなのかな……と思ってしまう。『天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも』の歌を詠んだ安倍仲麿みたいな気分になるのでありました。
ちなみに、僕の七夕の願い事は『世界平和』です。別にかっこつけているわけではなく、本当にそう思っている。他の身近な願い事だと、体調不良で最近あまり元気がない両親や祖母が元気になってくれると嬉しいですね。
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競技かるたでは、一枚目に読まれる序歌は基本的に「難波津に……」の歌である。これは、全日本かるた協会がこの歌を指定序歌としているからであって、別にこの歌を絶対に初めに読まなければならないという訳ではない。僕が知る限り、現在次のような歌が序歌として使われている。
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花
王仁 / 全日本かるた協会の指定序歌
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
菅原道真 / 太宰府大会での序歌
諸人を はくくむ誓 ありてこそ うみの宮には あとをたれけめ
藤原家隆 / 宇美大会での序歌
東海の 小島の磯の 白砂に 我泣き濡れて 蟹と戯る
石川啄木 / 五色百人一首の序歌
他にも色々ありそうなので、もし他に知っている方がいたらご連絡ください。一応、ワンポイントレッスンとして補足しておくと、菅原道真は「このたびは……」の歌を読んでいる菅家と同一人物であり、藤原家隆は「風そよぐ……」の歌の従二位家隆と同一人物です。ちなみに、下の句かるたの場合は序歌は存在せずに、初めに読まれた札は取れない札として、ずっと場に残り続けるらしい……
今年の太宰府大会のとき、いつものように一回戦負けして廊下でのんびりしていると、役員に対して「すみません、今日読まれていた序歌はなんという歌ですか?」と、質問してメモを取っている姿を見かけた。そのとき、他の大会でも「難波津に……」以外の札がもっと読まれるようになったら面白いのにな、と思った。
例えば、全国各地で開かれている公認・非公認大会で、それぞれご当地にまつわる独自の序歌を使用するようにする。そうすれば100首くらいあつまりそうだから、それを新たな百人一首(仮にご当地百人一首と命名)として作り出せないだろうか?このご当地百人一首を競技かるたの札にしたものをつくり、年に一回くらい全国大会を開いたら面白いのではないかと思った。決まり字のバランスが変わって、普段強い人が意外と苦戦するかもしれない(笑)
とりあえず、熊本大会での序歌を独自のものにするとしたら何がいいかな……?ちょうど、熊本大会が開かれている大慈禅寺には種田山頭火の句碑があるので、それを読むことにすればいいかも。句碑に書かれている歌は……
まったく 雲がない 笠をぬぎ
種田山頭火 / 大慈禅寺の句碑より
うわっ、短歌じゃなくて俳句だった!そういや、種田山頭火は自由律俳句で有名な俳人だった……五七五の形ですらないぞ(笑)